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小説版『空青』感想(ネタバレ注意) 進むべき道を見つける物語

空の青さを知る人よ小説
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――井の中の蛙大海を知らず。されど空の青さを知る。

『空の青さを知る人よ』の小説版が発売されたので早速購入! ウヒョー

……どうしてこうなった。

いや、発売日の23日にAmazonでポチったのはいいのだが……。
翌日になってどうも24日中には届かないことが判明したため、我慢できず書店に行ってきてしまった。
というわけなのである。

で、先ほど届いた二冊目。
こんなん草生えるわ。最初から書店行け。

まあそんなことはどうでもいいけれど、超平和バスターズの三人タッグはマジで最高。

超平和バスターズとは?

長井龍雪(監督)、岡田麿里(脚本)、田中将賀(キャラクターデザイン)からなるアニメーション制作スタッフ。

アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』、アニメ映画『心が叫びたがってるんだ』を手掛け、『空の青さを知る人よ』で三作目となる。

オリジナルアニメは『あの花。』が最初だが、「やべえな、すげえわこの作品」って思ったのは2008年に放送された『とらドラ!』

ヒロイン同士が本気の殴り合いを始めた時には驚かされたが、今思えばあの作品は脚本である岡田さんの色が出しやすい作品だったに違いない。(というか原作の竹宮さんと岡田さんの独特さがいい意味でマッチしていた)

あの花。にしろここさけにしろ、彼らの作品は綺麗汚いひっくるめて、上辺だけではない心と心がぶつかり合うシーンが本気で描かれている。

そして「痛み」の描写が、本当に胸を締め付けるくらいリアル。

ちなみに田中将賀さんは『君の名は。』『天気の子』でもキャラクターデザインを務めているため、メチャクチャアニメ好き~という層以外の人にも最近は知られているのではないだろうか。

そんなわけで10月11日に全国ロードショーとなる『空の青さを知る人よ』
先行で発売された額賀澪さんによる小説版を、早速読んでみた。

少し脱線すると、額賀澪さんは「ウインドノーツ」で松本清張賞、「ヒトリコ」で小学館文庫小説賞というダブル受賞でデビューした注目の作家。

ウインドノーツ(「屋上のウインドノーツ」の名前で出版)は、父親の影響でドラムを始めた女子高生が、小規模の吹奏楽部でパーカスを担当しながら関東大会を目指す話だった。

アニメ好きには「小規模ユーフォニアム」と言えばわかるだろうか。

人付き合いが苦手で無気力な主人公が、音楽を通して変わっていく。
不器用でも真っすぐなキャラクターの描き方が上手いと思った。

額賀さん自身が吹奏楽経験者らしく、音楽に関する描写はかなり緻密。
「空の青さを知る人よ」も主人公はベーシストという設定なため、選ばれたのにはそういう経緯もあるのかもしれない。

視点入れ替え方式をとっている作品で、空青もあおいと慎之介の視点から物語が進んでいくため同じ技法が用いられている。

いずれにせよかなり期待できる。

実際に読んでみたところ、超平和バスターズが出す雰囲気をとても丁寧に再現出来ている小説だったのでネタバレを含みつつ感想を書いていきたい。

それにしても著者紹介で90年生まれを見ると最近死にたくなる……。

10月11日 映画公開。

『空の青さを知る人よ』あらすじ

高校2年生になる相生あおいは、山に囲まれた秩父の町に息苦しさを感じていた。

「上京をしてバンドでやっていく」という夢を抱き、大好きなベースを弾いては音楽漬けの日々を送る。

そんなあおいを心配する姉・あかねは、地元の市役所で働く31歳。

二人は13年前に両親を失っていた。

当時高校3年生だったあかねは上京を断念し、以来あおいの親代わりとして、姉妹だけで暮らしている。

あおいを育てるためにあかねはやりたいことやなりたいもの、恋愛も諦めてしまい、そんな姉にあおいは負い目を感じていた。

ある日町おこしイベントのゲストとして、演歌歌手である新渡戸団吉が招待される。

新渡戸のバックミュージシャンとしてギターを務める男は、金室慎之介――13年前に音楽で天下を取る夢を見て上京した、あかねの元恋人だった。

時を同じくしてあおいの前に現れたのは、高校3年生の姿をした“しんの”こと慎之介。

「31歳の慎之介とあかねがくっつけば丸く収まる」

しんのの願いを叶えようとするあおいだが、やがてしんのに惹かれている自分がいることに気が付いて……。

過去と現在をつなぐ、「二度目の初恋」の物語。

もう設定が私好み! PVだけで涙が出そうだった。

正直なところ、二次元における眼鏡キャラの女が私は好きじゃない。
「いや、眼鏡いらなくね? ない方が可愛いんだからいらなくね?」って思う。
あと個人的な偏見だけど、眼鏡キャラって性格もロクなのいない。
オタクだったりドジっ子だったり(眼鏡好きには申し訳ないが)

で、ついでにいうと太眉の女キャラも好きじゃない。
「眉太、可愛いか?」といつも疑問だった。

そんな風に、かれこれ十数年以上抱いていた価値観をぶっ壊されてしまったのである。

相生あかねという女に。

主人公の姉である「あかね」は全くタイプではないはずなのに、PVを見た時にめっっっちゃくちゃ気に入ってしまった。なぜなのか自分でもよくわからない。

よく考えたら31のババアはヒロインじゃないだろ(全国の31歳女性に土下座)

だが彼女はめちゃくちゃ可愛いババアだ。
そんなわけでPVを見て以降ずっと「あか姉幸せになってくれ!!!!」と思っている。

もうこの姉ちゃんが幸せになれるのかが気になって小説読んだと言っても過言ではない。

小説版はあおいと31歳の慎之介目線で書かれているわけだが、私は終始あかねと慎之介目線で読んでいた。
自分も年を取ったということなのだろうか。

空の青さを知る人よストーリー展開

簡単に整理してしまうと『空の青さを知る人よ』は、

  • 両親を失い、妹のためだけに生きて来た姉・あかね
  • 姉に負い目を感じ、自分から解放させてあげたいと思っている妹・あおい
  • あおいに音楽の楽しさを教え、かつてあかねの恋人だったギタリスト・慎之介
  • 将来にまだ希望を持っているお調子者の高校3年生・しんの

の四人を軸にストーリーが展開されていく。

ここに、かつてしんのとバンドを組んでいたドラマーで、今はあかねに片想いをしているバツイチの同僚・正道や、その息子・正嗣、あおいのクラスメイトであるギャルっぽい女子高生・大滝だったりが加わるが、まあ彼らは本筋にはそこまで触れないので今回は割愛した。

かつて夢を追い上京し、そのまま音信不通になってしまった慎之介が戻ってくるところから物語が動いていく『空青』

ストーリーは主に2つの軸で進んでいった。

ひとつはあおいと18歳のしんのの交流。
もう一方は、町おこしの音楽祭が中心となった話。

まずあおいとしんのの話だが、あおいの前に突然訪れたしんのは13年前あかねに「一緒に上京はできない」と言われ、呆然自失でいたしんのだと判明する。

そのため彼は「31歳の自分とあかねがくっつけば元に戻ることが出来るはずだ」という考えにいたる。

しんのはかつての練習場だったお堂から出られない、という制限があるので(物理的にでることができない)、あおいを使って31歳の自分とあかねとをくっつけようと画策するのだった。

あおいにとっても慎之介とあかねが結ばれることは、自分からあかねを開放するいい機会になると考えしんのの提案に一度は協力を決める。

しかしお調子者で少し馬鹿で、前向きにキラキラと夢を見る姿にいつしかあおいは惹かれていく。
誰も本気で取り合ってくれない「上京してバンドで生きていく」という夢を、ただ一人肯定してくれたことが大きかったのかもしれない。

姉の幸せと自分の恋。両方を得ることのできない選択の中で揺れるあおい。

そんな青春っぽいストーリーが、あおいの目線から展開されていく。

一方で、町おこしイベントで歌う新渡戸のバックミュージシャンのベーシストとドラマーが食中毒で使えなくなり、あおいと正道が代打をすることが決まった。

現在の慎之介はギターでなんとか食べていけるようになったとはいえ、演歌歌手のバックミュージシャン。

夢見たものとかけ離れた音楽生活で、すっかりやさぐれたオッサンになり果てている。

くたびれて文句ばかりを垂れ、あおいに対しても不遜な態度をとったり、再会したあかねにも平気で手を出そうとしたり、まあ随分とクズである。

そんな現代の慎之介にスポットが当てられるのが、音楽祭側のストーリー。

現在と過去の慎之介は出会うことなく話は進んでいくが、ラストではそれが交わり――、というところがポイントになるだろう。

空の青さと進むべき道を見つける物語

井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る

そもそもこの諺の「されど~」以降は後々作られたもので、空の深さだったり高さだったり諸説ある。

そのため正式な諺でもなく、正確な意味もない、といった方が正しいのだと思う。

作中において「されど空の青さを知る」という言葉は、あかねの好きな言葉として卒業文集に登場した。

そしてタイトルでもある『空の青さを知る人よ』は、慎之介のソロデビュー曲のタイトルである。

あくまで小説版まででの解釈だが、この物語はあおいが空の青さを知り、慎之介もまたそれを確かめる話なのだと思う。

東京に出たがっているあおいは、姉の人生をこれ以上縛りたくないからという理由の他にも育った町を疎んでいる描写がある。

あたし達は、巨大な牢獄に収容されてんの!

周囲を山に囲まれ、盆地である町を牢獄のようだとあおいは考えてた。

私も山に囲まれた盆地で生まれ育った人間なので、そこらへんはよくわかる。360度見回せば山で、それままるで高い壁のようにそびえている。
学生のころはある種の閉塞感にも思えた。

しかし大人になった今はあまり考えなくなったので、やはりこういうのは十代特有の感性なのかもしれない。

話を戻すと、あおいは自分のすべてをかけて育ててくれたあかねに対しても、複雑な想いを抱いている。

もちろん仲はよく、あおいはあかねが大好きで感謝もしている。

しかし周囲から「あかねちゃんは偉いお姉ちゃん。感謝するんだよ」という類の言葉を掛けられると、あおいは自分でも説明のつかないモヤモヤした想いにかられてしまう。

あかねからの愛情を、素直に受け止められずにいるのだった。

これはあおいが、「自分がいたからあかねはしんのを、自分の人生を諦めた」という後悔に苛まれ続けているせいでもある。

物語のラストで、あおいは出たいと願っていた町の美しさと空の青さに気付く。

そしてあかねが自分に注いでいた愛を知ったあおいは、一番に自分を考えていてくれたことを素直に受け止められるのだった。

あおいにとって空の青さとは、青い鳥と似ている。

空の青さに気付く=身近にある美しさや愛おしさに気付くという意味合いで使われているのではないだろうか。

自分がいる場所から見えるものの大切さ、美しさの存在に気付けた人こそが、本当に遠くを目指すことが出来る。ということなのかな、と。

一方の慎之介は、空の青さというものについてすでに気付けていたように思える。

慎之介にとってはあかねの存在こそが、空の青さだったのかもしれない。

彼に関しては、どちらかといえば空の青さを思い出した、という感じだろうか。

「あかねスペシャル」と名付けたギブソンファイヤーバードと、18歳の情熱を捨てて上京に踏み切った自分。

「ビッグになってあかねを迎えにいく」という誓いを立て、泣かず飛ばすの13年間を諦めることなく走り続けてきた自分。

足踏みしているようで、一歩も進めていないようで、本当は進めていた自分。

そしてまだ夢半ばの場所にいる自分。

そういう自分と、自分にとって空の青さであるあかねの存在を再確認して、慎之介は前を向くことができたのだった。

空の青さを思い出した慎之介は、きっとあおいと同じでもう一度は走りだせる。今度はどこまででも行けるに違いない。

まとめ

いや、マジで姉ちゃん幸せになれてよかったわ(小並)

色々書いた感想やら解釈やらは置いておいて、自分にとって一番重要なとこはそれだよ!
これで安心して寝られる!!

大切な姉の幸せ、好きな人の願い、自分の恋心。
全てを満たせはしない中でもがくあおいの気持ちが、丁寧に描写されていた。

一方で懸命に生きて頑張って、でも何一つうまくいかない。

そういう日々に苛まれてきた慎之介の気持ちも、二十代~三十代には響くのではないだろうか。

31歳とかまだ若いって思うんだけどなあ。
いや、そう思わないとやっていけない……。

映画では音声や動きも加わり、二人目線だけではなく様々な視点から描かれることになるかと思う。

また違った姿を見せてくれるだろう映画版も楽しみである。

以上。

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