商品出過ぎじゃね……?
映画が公開されたことで、道行けば鬼滅というほど「鬼滅の刃」を見かけるようになった。
外だけでなく、家に帰ってきてもいるではないか。
鬼滅を1mmも知らない人がこの記事を読む可能性は低いだろうけれど、未読・未視聴の人でもわかるように3行で説明すると、
親兄弟を鬼に殺され、生き残りの妹を鬼にされてしまった主人公が、
妹を人間に治す方法を探すため、
鬼狩りの組織に入って戦う話
である。
(舞台は大正時代)
アニメも原作も第1話で親兄弟はご退場なので、出番はほとんどない。
お母さんが可愛い。
週刊少年ジャンプで2016年11号から2020年24号まで連載され(全205話)、現時点で売上は1億部を突破(Wiki調べ)
アニメ化で人気が爆発し、絶頂期にゴールテープを切るという幸せなラストを迎えた。
私は最終回を迎えてから読んだにわか勢であるが、途中から「電子版ジャンプを1号ずつ買っていく」というクソコスパの悪い方法で完読しているので、ラストまで内容は知っている。
実のところ最初は「こいつら全員目、死んでね?」と思い、読むのをためらっていた。
……しかし絵柄を理由に私が避けていた作品はだいたい話題になるし、実際に見てみると面白いので、手にとってみた(進撃とかね)。
そしたらまあ、面白いのである。
私は天邪鬼でも、メジャーデビューしたバンドマンを急に叩き始めるインディーズマニアでもなく、世間様が面白いといったものの8割くらいは面白い、と感じるタチだ。
なかにはもちろん「言うほど面白くない」という意見も見られる。
そんな意見を述べる人には申し訳ないが、おそらく鬼滅の刃という作品は「心が純粋で素直な人間」にほど刺さるストーリーなのだと思う。
話自体が単純明快だから、そうなるのは当然だ。
だからキッズから絶大な支持を得た。
そのためこまっしゃくれたガキや、王道を「ありきたり」と批判する人にはウケないのかもしれない。
こればかりは感性の問題なので、面白いと感じられない人にはどう説明しても面白くはならないだろう。
前置きが長くなってしまったが、「鬼滅の刃」が売れた理由を私なりに考えてみた。
正直、あれこれ理由を並べるまでもなく「これは売れるよね」って思う作品なのだが……。
①グダらないスピーディーな展開と少ない巻数
編集が優秀なのか、鬼滅は全205話、単行本も23巻の長さになる。
これは人気ジャンプ漫画としてはかなり短い。
ちなみにジャンプの人気作の巻数は、
- ワンピース 97巻(現行)
- ドラゴンボール 42巻
- NARUTO 72巻
- こち亀 200巻
- スラムダンク 31巻
- BLEACH 74巻
平均して86巻という長期連載を行っていた。
……いや、これ明らかにこち亀が平均爆上げさせとるやろ、と思ったのでこち亀を抜かした平均も出してみたが、それでも63巻。
40巻を越えたあたり、早ければ20巻後半あたりで、どんな名作でも「なんかグダってねえ?」という展開が繰り広げられることが多い。
長引けばどうしても迷走し出す期間がある。
はじめの一歩なんてボーリングをする始末だ。ボクシングはどうした?
もちろんそれを乗り越え再び盛り上がったり、熱いラストを迎えたりするから名作になる。
しかし長期連載にはグダりが付きものと言っていいだろう。
一方、鬼滅は無駄を省き、必要な話だけを詰め込んだ高密度のストーリーをラストまで展開し続けた。
そのため1巻から、冨岡に出会った→鱗滝の修行→最終選抜→分裂する鬼退治→無惨に会う→珠代さんと愈史郎に会う→以下略……とすべてのストーリーが順を追って説明できるのではないだろうか?
重要エピソードが連続するため、読み始めた読者の熱を冷ますことがない。
一息つく間もなく読み進めてしまうのである。
さらに話の短さは、新規流入のしやすさに繋がる。
正直「ワンピース面白いよ」と言われても「じゃあちょっと読んでみるか~」とはなかなかならない。
なぜなら巻数が多すぎるからだ。
漫画喫茶に行っても1日では読めない。
その点20巻ほどの鬼滅は、1日あれば読めてしまう。
実際に私もほぼ1日で全部読んだ。
さらに全巻買っても1万円ほどなので、大人であればまさに大人買いができる作品でもある。
売れているから終わらせられない作品も多い中、手の出しやすい巻数・重要エピソードだけを詰め込んだ短い構成は、作者にとっても読者にとってもありがたいものだったように思う。
同じ手法で人気を得たのがマガジンの「五等分の花嫁」で、今後は人気が出ても作者のタイミングで終わらせる漫画が増えるのではないかと予想している。
②理不尽だが胸糞展開がない
善良な主人公がいきなり家族を惨殺される、という理不尽極まりない始まり方をする鬼滅だが、この作品は胸糞展開が非常に少ないのである。
ここでいう胸糞というのは、
- 主人公が周囲に理解されない、冷遇される
- 主人公の頑張りが認められない
- 身に覚えのない罪をなすりつけられる
などである。
この手の胸糞は巨大勢力に抑え込められる形で、身内サイドで起こる可能性がある。
現実社会を見ても、胸糞の8割は家族・社内・友人知人といった身内で発生している。……数字は適当に言ったけれど。
敵は理解できないもの・されないものという割り切りができる一方、味方になるはずの人間から理解されないのは辛い。
しかし鬼滅はこの『内なる胸糞』がきわめて最小にとどめられている。
クソは無惨1人、と言っても過言ではない。
あと上弦の弐。
もちろん人々を守り切れなかったり、仲間が死んでしまったりと、主人公・炭治郎は自らの無力感にさいなまれる時もある。
だが彼の努力は基本的に周囲に認められ、大なり小なりの成果を得ているのである。
唯一の胸糞といえば、初めて柱とお館様が登場する回くらいだ。
「禰豆子は人を襲わない鬼だ」という主張を受け入れてもらえない炭治郎。
とは言えこのシーンも内部の人間(冨岡と胡蝶)に助けられ、ことなきを得る。
不死川や伊黒には認められないものの、ギャグ調に描いてそもそも炭治郎自身がものともしていないので、そこらへんはストレスのうちに入らない。
敵との戦闘や修行以外で、主人公がメンタルブレイクしている期間が短い点が、そのまま読者がノンストレスで読めることに繋がったのではないかと思う。
主人公が辛い修行をする、という昔ながらのスタイルを入れつつ、周囲からは認められ続ける最近の風潮も取り込んでいる作品だ。
③愚かしい行動をとる人間がいない
リアルだろうと創作内だろうと、馬鹿を見ていると疲れる。
主人公はもちろん、「なぜそこでその行動を!?」としかいいようのない言動をして事態を悪化させるキャラクターが1人でもいると、それだけで作品が炎上することもしばしば。
そこに関して鬼滅は、馬鹿やアホキャラが多いものの、重要局面で愚かなことをやらかす人間がいない。
つまり選択が正しい。
そもそも戦闘中に判断を誤った人間から死ぬのだから、柱が賢いのは当然なのかもしれないが。
そして組織のトップという、連ドラなんかではクソの温床と化しているポジションにいる人間――お館様も、仁徳あふれる人間だった。
現実社会ではそうはいかない。
見渡しても馬鹿だらけで、日々神経がすり減らされることだろう。
鬼滅は徹底的にそういうリアルを排除したことで、爽快に読み続けることができる漫画なのである。
④悲しくそして美しい世界
鬼は敵! という一辺倒思考にならない点も、鬼滅の魅力のひとつだと思う。
鬼退治という勧善懲悪スタイルを取っているようで、そこは『日本一慈しい鬼退治』。
多くの鬼に感情移入・同情できるような悲しいエピソードやシーンを挿入し、やるせない読了感を残していく。
これにより単純明快でありつつも物語に深みが出て、悲しみにハマる人が出たのではないかと考えた。
「唐突に挟まれる敵サイドの話になんて、感情移入できない!」という人もいるかもしれない。
しかし、分かり合えなくても分かろうとする姿勢が欠けているから、偽善者ぶってSNSで他人を批判するような人間が増えているのではないだろうか。
まあ、それはさておき。
⑤結局みんなお涙頂戴に弱い
決して馬鹿にしているわけではない。
大切な人が死んでしまったら悲しい。家族や恋人、仲間は大切。生きていくことは時に辛くしかし素晴らしい。そんな不変の感情を利用して泣けるエピソードをバンバンぶっ混んできている。それが鬼滅だ。
いわば人生賛歌だ。身も蓋もないけど泣けますやん、そんなの。
ある意味でありきたりとも言えるけれど、大多数の人間は王道という名のありきたりに弱いので、大衆ウケが良かったのだろう。
もちろん私も弱い。
最後に人が死ぬドラマとかだいたい泣くし、事故や災害のドキュメンタリーとかも泣く。
素直で単純な人間に刺さるといったのはその点も含めてのことだ。
長々書いたが、鬼滅は多くの人が心揺さぶられるであろうエピソードをたくさん描いたから人気が出た。
簡単に言えばそれだけの話だ。
最初に言ったとおり、やはりぐだぐだ考察する必要なんてなかったな。
余談・最終回で××を描いた効果
ここからは大したネタバレではしないものの最終回に触れるので、ネタバレを食らいたくない人は引き返してほしい。
物語の最終回は、舞台が現代(令和)に飛ぶ。
蛇足とも、平和が訪れた大団円ともいえる終わり方だ。
途中「キメツ学園」とか描いていた作者なので現代版が描きたかっただけなのかな、とも思うが、ラストで現代を描くことにより得られる効果がある……のではないかと考察した。
それはこのストーリーを、完全なフィクションから、あったかもしれない昔話に落とし込めることができた点だ。
鬼滅はどう見てもフィクションの話だと分かる。
鬼なんてものは存在しないし、あんな世界はありえない。
……が、ラストで今私たちが住む世界と変わらない日常を描くことで、少し見方が変わる。
最終回で、禰豆子と善一の子孫と思わしき子どもが、曽祖父(善一)の書いた鬼狩りの記録を「作り話」と一笑するシーンがある。
仮に自分が同じ立場だったとしても、かつて鬼と鬼狩りがいた、などという話は信じないだろう。
鬼殺隊は政府非公認の組織という扱いだったため、歴史には残らない存在となった。
当時も世間的には鬼などいないという認識で、それは時代を経ることでより確固たるものとなり、彼ら(子孫)は鬼の存在をまったく信じてはいない。
私たちと同じで。
最後に私たちが生きる世界と同じ日常を描くことで、かつてこの世界にも鬼と呼ばれる存在と、そして陰ながらそれらを倒し平和を作り上げた人々がいたのではないか……?
そんな風に思わせる効果があったのではないかと私は思う。
……思わん?
終わり。
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